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観ていただきたい!今月のお勧めの映画 「怪物」

「怪物」 是枝 裕和監督

物語は、安藤サクラが演じるシングルマザー(早織)が、小学生の息子(湊)が担任の保利(永山瑛太)からモラハラと暴行を受けていると確信し、学校側へ説明と謝罪を求める場面から始まります。
序盤のかなり早い段階から、心臓のあたりがぞわぞわするような、なんとも不安で不快な気分が長い時間続きました。

坂元裕二による脚本がカンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞したことを報じる記事などで言及されていたように、本作の物語構成は、芥川龍之介の小説「藪の中」、またその映画化である黒澤明監督作「羅生門」に似ており、真相がわからない一連の出来事を複数の当事者の視点から語り直す手法が採用されて
います。
この「怪物」においては、主に早織、保利、湊の視点の順で(ほかに田中裕子が演じる校長の視点も少し入るが)、学校での数日間に起きたことや、湊と同級生の依里(より)とのかかわり、台風の一夜の出来事が多面的に語られ、当初は不明だった事実が徐々に明かされていきます。

しかし、坂元の脚本と是枝裕和監督の演出は、「たった一つの真実」が存在しそれを明らかにしようとするのではなく、むしろ各人の考え方や感じ方、立場によって事象のとらえ方が変わってくるように思えました。
言い換えるなら「認知のゆがみ」が生じうることを示唆しているのではないか。。

たとえば序盤、早織に感情移入して観るなら校長や教員らの心のこもらない釈明や謝罪は役人の答弁のようで腹立たしく、保利先生ら学校側からの視点から観ると、早織がモンスターペアレントのように映る。
得体の知れない存在や体験したことのない状況を怪しむ、恐怖する感覚は太古から受け継がれてきた自衛本能ではないか。

自分の命やアイデンティティー、家族やパートナー、よりどころになる家庭や職業・職場が何ものかによっておびやかされると感じた時、その何ものかが「怪物」として映り、自衛のため必死に抗おうとする。
しかしそうして抗う自分もまた、自分のことをよく知らない相手から「怪物」に見えているのかもしれない。
認知のゆがみが「事実でないことを私たちに見せる可能性がある」という理解に基づくなら、ラストシーンも見た目通りのとらえ方とは別に、180度異なる解釈もありうるのではないでしょうか。
その解釈に思い至ったとき、改めて坂元裕二脚本の深遠さに震えた作品でした。

映画を観ながら、自分自身の幼少期に、山に「秘密基地」を作ってみたり自然と戯れながら遊んでいた事を思い出しました。
あの時、僕にとっての「怪物」は何だったのか。
そして今の僕にとっての「怪物」は何なのか。
また、他の人から僕は「怪物」のように見えるのだろうか。

近年観た映画の中で、いろいろな意味で一番胸に刺さった作品でした。
是非、皆さんもこの作品「怪物」を観て頂き、自分自身を、そして周りを見つめ直して頂ければと思います。

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